自分が良いと思うものを人に勧めたくなった経験ないでしょうか。
私は学生時代自分の気に入った漫画や映画など友人に貸したり、勧めるなどしてたものです。
結果『面白かったよ』『イマイチだった』など評価は分かれるのですが。
自分の良いと思ったものはつい他人にも勧めたくなるものです。
『自分が良いと思うんだからこの人もきっと気に入るだろう』という心理です。
障害があるとは詰まるところ何かが出来ない、ということ。
その出来ない部分は何かによって補う必要があるのですが、補うには誰かの助けを借りることになります。
誰かとは親もしくは先生になるのですが、多くの先生は「こうしなさい」「こうすべきだ」などいろんな物事を勧めてきます。
勧めてくる先生は『自分が良い』と思っているものなので良かれと思っています。
これがやっかいです。
障害ある子の場合は基本的に誰かの手助けがいります。
助けられたら「相手の言うことを聞かなければ」と思うものです。
障害ある子の場合、助けられる環境故に周囲の意見を聞きすぎてしまうのです。
『それって悪いことなの?』
と思うことでしょう。悪いことばかりではありません。
ただ周りの意見に従ってばかりだと自分の気持ちが分からなくなります。
例えばアルバイトしているときは自分の都合ややりたいことはひとまず脇において働くでしょう。
怖い先生の前だと自分の気持ちを押し殺してでも言うことを聞くでしょう。
人の言うことを聞くことは立派なことで褒められもしますが、反面、自分の考えや気持ちに気づけなくなっていきます。
健常者の子であれば、アルバイト以外の時間は一人で何でもやるのだったら問題はないのですが、障害ある子の場合は常に誰かが密着しています。
障害ある子は常に誰かの指示を受けている環境にあるということです。
結果どうなるかというと非常に受け身に成長していきます。
受け身ということは周りの環境に依存しがち、ということです。
障害ある子は支配が出来てしまうのではないか
私は特別支援学校で先生をやっていましたが、小学部でも高等部でも、障害も関係なく子どもたちは弱い立場にあると感じていました。
障害ゆえに何かしらの助けが必要で先生の言うことを聞かざるを得ない状況だからです。
例えば小学校では大人しかったのに、中学、高校となるにつれ自我を出して反抗的になる生徒がいるでしょう。
どの学校にもそんな生徒はいるものです。
ああなる原因の一つは成長するにつれて、一人でも生きていく力や自信が身についていくからです。
障害ある子の場合はそうはいきません。
誰かの助けが必要です。構造的に先生には反抗しづらいのです。
私自身先生をやっていて感じたことですが「んー支配できてしまうな、これは」と思ったことがあります。
嫌なことがあると子どもたちなりに反抗はします。
でも最終的には先生のさじ加減で物事は決まっていきます。
もう少し言いますと先生は指導者なのですから「先生の言うことを聞きなさい」が先生にとっての普通です。
「学校なんだから仕方ない」と思うかも知れません。
ただ卒業後の作業所や就職先での様子をみると今度は「働きなさい」「職員の言うことを聞きなさい」が始まります。
・・・違和感を感じませんか?