私は特別支援学校で9年間先生をやっていました。
自虐的に言っているのでは全然なく、私は変な先生だったと思います。
そう思えることが沢山ありましたし「変だからこその役割がある」と自分で思っていたので気にもしておりません。
「変わっている先生か、一般的な先生か」ではなく「誰かの役に立ってる先生か」だと思うんですよ。
子どもの役にたっていれば、それでいいはずです。
変わっててもいいんですよ。そこにはちゃんと役割がありますから。
・・・と自分に言い聞かせてたのです。
今回は世界観のお話しをします。
ルパン三世の歌で「男には~自分の~世界がある」というあれですよ。
・・いや、余計分かりにくいか。
世界観とは価値観とも言えます。
「何を大切にしているか」ですね。
色んな価値観や世界観に触れることは心の成長を促します。
例えるなら一般人の女性が有名人と付き合い、その人の価値観に触れことで成長出来た、みたいな話です。
恋愛でなくても尊敬できる先輩や先生でも同じです。
私がこのブログ上で話していることの9割は心の成長に関しての話。
障害ある子は「出来る、出来ない」など技術部分に目が行きますが、心の成長の方がよっぽど大事です。
障害のない子でも勉強ができても、自信が持てずにうつむきに暮らす子もいます。
もっと言えば心の強さは多少の出来なさや悪さを吹き飛ばすこともあります。
私は先生をやっていて分かったことですが精神面の成長にも法則があります。
その一つが沢山の世界観を知ることです。
私は夢を教える先生
・・・メ、メルヘンチックな表現すみません。気持ち悪いですね。
他のフレーズも考えたのです。この記事は喫茶店で書いていますが、数分考えて一回トイレ行って戻ってきたけど結果は同じでした。
よって。
えー私は夢を教える先生です。照れますが。
根拠は私といると自分の夢を見つけだす生徒が多かったからです。
なぜそうなるかは「夢を持つことがもっとも大事」というのが私の世界観だからです。
例えば私の先生としての理想像は「Rookies」というドラマや映画にもなった川藤先生です。
大学生のころは「川藤先生に俺はなる!!」と某有名海賊漫画の主人公のように思っていました。
このサイトの名前も「夢へのEn-Zin(エンジン)」ですしね。
ちなみに私が運営する障害者スポーツの団体名は「ドリームス」
私は沖縄に親戚がおり、よく帰省するのですがお土産に「夢」と書かれたキーホルダー買ったこともありましたね。
買った後で「なにこれダサい」ということに気付いて使ってませんが。
歌手のaikoさんが「私は恋愛ジャンキーなんです」みたいことを何かで言っていた記憶がありますが同じようなものなのでしょう。
いわば私は「夢ジャンキー」というやつです。
そんな私ですから一緒にいる生徒は次第に自分のやりたいことや自分のありかたを見出すことが多かったように思います。
繰り返しますがそれは私が「夢を持つことが最も大事だ」という世界感を持っているからです。
これは誰にでもある話で、いがみ合う関係でなければ誰でも相手から何かの影響を受けるものです。
もっとも顕著なのは親や兄弟ですね。
小さいころから一緒にいる家族はやはり相互に影響し合いますよね
親の次に影響を受けるのは友達になります。
良いも悪いも影響を受けます。
そこから成長するにつれてアニメの主人公や物語など様々な物事から影響を受けて成長していくわけです。
影響を受けるのはその人の身近にいる人物や物事です。
そこからの影響度は相手に興味があればあるほど深まります。
強烈なのが恋愛中のカップルです。
自然とペアルックになったり、同じような物事を好きなったり。熱愛中であれば考え方すらも似てきます。
先生の役割とは何か
私は先生とは勉強を教えるだけが役割ではない、と思っています。
勉強だけなら塾や通信教育であっても良いわけですから。
学校とは親や友達以外の価値観を学ぶ場です。いわゆる一般常識と言うもの。
それを教えるのも学校の先生です。
そういう意味で先生にはやはり良識が求められます。
子どもにとって親以外に初めて大人と向き合ってやりとりするのが学校の先生です。良識人でないといけません。
ただここまではよくある話です。
「先生は良識人でないといけない」これは誰でも思う話。
・・・まぁいわばここからが変な先生であった私の本領発揮なわけですよ。
誤解されないよう頭フル回転で書いていきます。
学校の先生は必ずしも良識人である必要はありません。
多少の悪さや親と違う価値観の持ち主であってもいいんです。
なぜなら世の中には様々な世界観があるからです。
沢山の価値観を学べる場所が学校ですし、心の成長なんです。
・・・ここで読むの止めないでくださいね。
私自身きわどい話をしている自覚があります。
「多少の悪い出会いは問題ない」という意味を納得してもらえるよう書いていきます。
悪を知るのも成長である
世の中には色んな価値観があります。
例えば私は「夢を持つことが最も大事だ」という価値観を強く持っています。
自画自賛するようですが、私からは夢の意味が学べます。
それは「みんな一緒がいい」「常識に合わせて生きましょう」と考える一般的な先生には教えられないことです。
同じ理由で悪い先生には「悪」が学べます。
世の中には悪い人もいること、合わない人間もいること。
そして合わない人間がいるからこそ、合う人間を大事にしようと思うことが出来ます。
色んな価値観はあっていいんです。
例えば私は大学時代に大嘘をつかれたことがありました。
当時は落ち込みましたが「大嘘をつく人間もいるんだ」ということを学びました。
「だから誠実さは大事なんだ」とも学べました。
「良い嘘」と「悪い嘘」の見分け方も分かりました。
参考までに良い嘘は相手のためになる嘘です。
例えば不治の病になった人で「今、病気の事実を知ったらこの人は耐えられないだろう」と判断して「大丈夫。治るよ」と言ったのならそれは相手のためについた嘘です。
良い嘘と言えます。
悪いのは自分のためだけにつく嘘です。
「必ず返すから100万円貸して」といって返す気がない場合とかですね。
多少の価値観の合わなさはあっていいんです。
その合わない経験自体が学びとなります。
とある有名人はお金持ちであるのにも関わらず私立ではなく公立の小学校に入れたそうです。
理由は公立学校の方が多用な価値観が学べるから。
有名私立というのはお金持ちばかり集まります。
優秀な先生が多く、子どもも落ち着いていますがデメリットとして良い子ばかりで価値観の幅が狭いのです。
だから「公立の小学校へ行って多用な価値観を学べ」ということで子どもを公立学校へ行かせたそうです。
障害ある子の場合・・・例えば特別支援学校ではみんなが優しくてほのぼのとした空間です。
それはそれで素晴らしいものですし、人間の基本です。
ただ「悪」が学べないのです。
世の中に価値観は全て善で固められているわけではありません。
また全てを善で固めようとすると逆に苦しくなります。
例えば私は社会人になってから挫折し仕事を辞めて引きこもり状態になりました。
その時私を救ったのは「逃げてもいいんだよ」という価値観を教えてくれた人です。
私は自分が責任を放棄したことをずっと責めていたのです。
ただ「逃げてもいいんだよ」という価値観を知ることで私の自責の念は消えました。
逃げるという行為は立派な行為ではありません。すばらしい行為なのは困難に立ち向かう姿です。
でも時には無様でも自分勝手でも逃げることを認めないと終わらない悩みもあります。
あのとき私が「逃げてもいいんだよ」という価値観を知らなければどうなっていたことか、と思います。
多種多様な価値観に出会うことが学びになります。
むしろ同じ価値観しかない世界では心の成長がありません。
きわどい話になりますが特別支援学校はみんな良い人すぎるのが欠点とも言えます。
悪い先生からも実は学べることはあります。悪いなりに価値はあるんです。
とはいえ極悪な先生や極悪な友達の場合は別ですよ。
ここ大事なので強調しておきますね。
私はいじめやからかいを肯定する気は全くありません。
得られるものが何もない、もしくは悪影響が強すぎる出会いも必ずあります。
心が深く傷つくことと学ぶことは違いますから。
親の役割を考えてみる
3年B組金八先生みたいなこと言いますが「親」という字をよく見てください。
親は「立」「木」「見」で構成されています。
「親の漢字を考えた人は天才だな」と思うのですが「木の上に立って見ている」これが心の成長面を考えた親のベストポジションだと思います。
必要以上に木の上から降りて、子どもに干渉してしまうと心の成長面から言えばマイナスになってしまうのです。
最も顕著な例で言えば、いわゆるモンスターペアレントです。
例えば「運動会の時間に間に合わず参加出来なかったからやり直せ」という意見を保護者が怒鳴り込んでそれが通ったとします。
やり直すことで、子どもは運動会という経験が出来ます。
一見すると本人に良いことのように思えますが「遅刻したらダメなんだ」という世の中の価値観を学べません。
もちろん限度はありますが怖い先生であってもそれはそれで意味はあります。
「世の中にはめっちゃ怖い人もいる」という恐怖を知ることが出来るからです。
恐怖を知らなければ不用意な発言や行動をしてしまうかもしれません。
例えば宿題を忘れて激怒される経験も一度は必要です。
基本世の中は締切厳守で動いていますから。
きわどい例ですが特別支援学校はいい人が多すぎる環境です。
入るとほのぼのした環境に居心地の良さはありますが、厳しさの価値観を知ることは弱くなります。
言ってしまえば”過保護”なのです。
木の上に立って見ている
これが親の理想的立ち位置です。
多少の困難さや理不尽さは色んな価値観があることを知る機会です。
頻繁に木の上から降りてくる必要はありません。普段は見ているだけでいいんです。
とはいえ子どもがピンチの時は木の上から降りてきてくださいね。
・・・って私が言うまでもないか。
自分の夢を持ってください
これが今回の記事の結論です。
子どもだけではありません。
お父さんやお母さんも自分だけの夢をもっていいのだと私は思っています。
まずは子どもの話からですが
立派な人生ではなく夢を叶えるような人生を
と言うのが私の理念です。
立派な人生というのは「他人からの評価」「世間体」「一般常識」「先生の意見」を意識する人生です。
多くの問題はそれら「立派な人間になろう」と意識しすぎることから生まれます。
例を挙げるなら引きこもりやいじめなどで自信を失った子どもです。
自信を取り戻すのは原因となる学校へ通い続けることは多くの場合解決には導きけません。
立派なのは学校へ通い続けて解決したり、努力をして見返すこと。
でも多くの場合はそこから逃げる方がいいのです。
立ち向かって上手くいく場合は「自分がそうしたいと思ったとき」です。
例えば有名人で自分からいじめを克服した例がありますが、あれは自分から立ち向かっています。
「逃げたい」と思うならそのまま逃げるべきです。
逃げてもそこからも道は続いていますから。
解決の糸口となるのは自分の想いや夢を意識することです。
ここで言う夢とは自分がどうしたいのか、どうありたいのか、ということ。
自分の夢には立派な評価、つまり他人の評価や世間体や一般常識、先生の意見は関係ありません。
あくまでもあなたの価値観です。あなたがどうしたいのか、あなたがどうありたいのか。
それを尊重することで多くの事例は解決していきます。
それを伝えるのがこのサイト夢へのEn-Zin(エンジン)なんです。
障害ある子の夢へ向かう原動力”エンジン”を目指しています。
ただですね。
滅多に書きませんが
立派な人生ではなく夢が叶うような人生を
というのはお父さんやお母さんにも向けてでもあるのです。
私は沢山の保護者の方と出会ってきましたが「立派な親であろう」という自責から解放された人ほど生き生きしていますし、子どもも落ち着いています。
ここで言う立派な親とは世間の評価を気にして、一般常識をきちんと守り、先生の言う通りにする親のことです。
お父さんやお母さんの問題も多くはそこから発生します。
外の意見ではなく、心の中にある自分はどうしたいのか、どうありたいのかを意識してみてください。
大人になればなるほど、世の中の声が耳に入ってきます。
その声を聞きすぎると「自分はどうしたいのか」は消えていきます。
手を抜きたいなら抜いてみてください。
働いてみたいなら、それが叶うよう動いてみてください。
遊びたいなら遊びに行ける努力をしてみてください。
今回の話のように極悪なものを除けば悪い出会いというのはそうあるものではありません。
多少の価値観の違いは子どもに学びを与えます。
木の上に立って見るのが親の役割です。
子どもは子どもで勝手に学んでいます。
子どもが大ピンチでなければ、親は親で自分のやりたいことやありたい姿、つまりは自分の夢を追いかけても大丈夫です。
しつこいですがこのサイトの名前は夢へのEn-Zin(エンジン)
このEn-Zinには二つの意味がありまして。一つは先ほど言いました夢へ向かうエンジンです。
もう一つはつながりをつくるエンジン(円陣)なんです。
こういうのですね。「円陣を組む」のエンジンです。
↑円陣の中って周囲の声よりも自分たちの声の方が聞こえるでしょ?
お子さんに夢が大事なように、お母さんにも夢が必要です。
ただ周囲は「立派な人間でありなさい」と求めてくるはずです。
誰の意見も聞かない独りよがりな人間になるのはマズイです。
ただ自分の気持ちが分からない方が大問題です。
だからこうして円陣を組むんですよ。
周りの声はあえて聞かずに、自分たちの目標を確認するための円陣です。
書いててちょっと照れますが、色んな意味でこのサイトは夢へのEn-Zinなのです。
というわけで普段子ども向けが多いですが、実はお母さんやお父さん向けの内容でもあります。
「自分の心の声が聞こえなくなったら、このサイトを読んで自己確認をする」
そんなサイトを目指しています。今後ともよろしくお願いします。
・・・って最後サイトの宣伝で終わってしまった。