『卒業式もう終わったんだけど?バカなの?』
というツッコミはご勘弁を。
3月になりました。3月といえば卒業式の季節です。
私は以前は特別支援学校で先生やっていました。
その経験から「卒業式でこれやると非常に喜ばれますよ」という話をいたします。
『だからそれは卒業式シーズン前に言わないと意味ないんじゃない?』
と思うでしょ?
こうなった理由は「いやー忘れてたよ」の一言に他ならないのですけども。
どうかこの記事が誰かの卒業式に間に合いますように・・・
普段やると嫌がられること
嫌がられるというか「困らせる」といった方がいいかもですが、夏休みや冬休み、または家庭訪問などでお土産的なものをいただくことがあります。
クッキーなど子どもたち全員で食べるようなものだと有り難いかぎりなのです。
子どもは喜ぶし、先生はその時間は授業しなくていいし楽なんです。
ただ先生個人宛てにお土産や何かしらいただくことがあります。
色んな人の目が光ってる昨今、個人的なものは困ってしまいます。
普段は先生への個人的な贈り物はある意味”嫌がられる”んですよ。※お気持ちは嬉しいですよ。
年賀状とかはいいんですけどね。
学校によっては明確に「保護者と教師のモノのやりとり禁止」もあります。
ただ「どうぞ」と好意で渡されたら断るのも悪いなぁ、と。
「もらっておいて内密にしておく」というのはあるのではないか、と。
卒業式ではめちゃくちゃ嬉しい
ところが卒業式は違います。
普段の贈り物があまりよろしくないのは言わば「賄賂」的な匂いがするからですね。
でも卒業式はもう卒業だから関係ないわけです。
このときにいただけるものは抵抗がない。
また終わりなのに贈り物をするということは純粋なお礼じゃないですか。
これが非常に心に響きます。
例えば私は普段花もらってもそんなに喜びませんが卒業式で保護者の方からいただくお花は大事にします。
ていうかお礼の手紙でもメールでも何でも嬉しいものです。
やはりそれは卒業式だからです。
気持ちよく受け取れるし、お気持ちを非常に感じるので嬉しいのです。
この商売は人情だ
このサイト上で私は先生に対する批判的なことを言います。
ただそれは内容理解のためであって、先生不信を煽りたいわけではないのです。
なぜかと言いますと学校の先生って結局は人情の仕事だ、と思うからです。
どんな先生でも「うわー今日はだるいなぁ」と思ったりするわけですよ。
でもそこに生徒が困ったことが起きて「んーしんどいけど頑張るか!」と思うか「ごめん、今日は無理」と思うかは好きから嫌いか、人情が動くか動かないか、だと思うのです。
特別支援学校の場合、卒業後は引き継ぎとかで就労先でうまく行かなくて再度先生が出番も時折ありますしね。
「この先生にはあげたくないな」と思うなら別ですが、お気持ちあるなら何かされると非常に喜ばれますよ。