お子さんが「学校に行きたくない」と言ってきても慌てなくて大丈夫です。

 

「嫌だという気持ちが言えたこと」

「自分を見つめ直す機会がもてたこと」

「言わなければ事態は悪化していく一方」

 

そんなことを考えれば「学校行きたくない」は悪いことではありません。

これから状況が良くなっていく予兆です。

 

不登校になる原因

不登校になるのは日々に生き甲斐を感じなくなったからです。

 

当たり前な話ですが、みんな生き甲斐を感じたいんです。

その大前提が崩れたら、動けなくなるのは必定です。

私も動けなくなります。世界中の人がそうです。

 

生き甲斐を失わせるのはルールです。

ルールに従い「これをしなければ」「こうあらねば」と自分に言い聞かすほどに生き甲斐は遠のきます。

 

これもみんな同じことです。

そして学校はこのルールを遵守することを何よりも尊びます。

昔、先生だった私の感覚ですが尊び方はちょっと異常だと思っても構いません。

 

なのでルールの世界から離れ、家庭で生き甲斐を感じる日々を増やしてください

 

多くの方が誤解されてるんです。

学校を休むのは問題あることじゃないんです。

 

生き甲斐なく通うならそこはブラック企業と同じではないですか。

限界を感じたら学校を休むのは当たり前のことです。

 

それを認めにくい風潮があるのは、学校が一歩を踏み出せないからだと思っていい。

一歩とは「学校休んでもいいよ」という常識を学校が作ること。

 

「クラスから不登校の子が出てきた」というのは先生の不名誉になります。

また「認めたらもっと学校へ来なくなるのではないか」という先生側の不安があります。

そんな不安や恐怖心が「学校に行かなくては」という常識を作り出し「辛いなら休めばいいよ」という当たり前が認められない。

 

これも当たり前ですが、人は恐怖心や常識で前に進むのではなく、生き甲斐を感じることで前に進みます。

そもそもが教育とは生き甲斐を見いだすため、繋げるためにやるもの。

「ルールを減らすことの恐怖心」は根底からズレています。

 

確かにルールを減らす恐怖を感じることはあると思います。

ただ先生だって仕事が辛くなったら休みます。それが当たり前なんです。

 

ルールと生き甲斐は相反するもの。ルールに従っていても生き甲斐は感じません。

限界を感じたら休むことが普通です。通う方が不自然です。

 

休んでしばらくゆっくりして遊んでください。

そして「生きてた甲斐があった」と感じられる時間を増やしてください。

 

不登校を予防も、再び学校へ行こうと思えるのも日々の生き甲斐による充足感です。

生き甲斐が燃料だと思えばいいでしょう。

 

燃料切れを起こしたら補充すること。それが頑張らずに遊ぶことです。