特別支援学校小学部の男の子の話です。

彼は自閉症と聴覚過敏がありました。大きな音や甲高い声が苦手で、他の子には平気でも彼には耐えられません。

 

対策としてイヤーマフという防音用のヘッドフォンを付けようという話もあったのですが、「小学生では早い」ということで見送られていました。

 

彼は授業は意欲的で給食の準備や片付けは自主的に手伝ってくれます。

面白いこと笑えることが大好き変顔勝負したり、追いかけっこを楽しむ小学生です。

ただ聴覚過敏により授業に入れないときがありました。同じクラスにいる子の甲高い声が苦手なのです。

 

出来るなら最初からやってるはず

彼の担任の先生は聴覚過敏の彼に「教室にいるように」という指導をしていました。

彼は言われたとおり我慢します。ですが続きません。

やがて教室から離れた位置にいて、授業だけ戻ってくる、授業が終わればすぐに教室を出る、そんな習慣になっていきました。

 

先生は彼に対してどうしたか。

「みんな教室にいるんだからあなたもいなさい」という指導をします。

彼は言いつけを守れず何度も教室を出ようとしていました。先生はその度に止めていました。

やがて彼は大泣きしました。

 

彼は言葉で表現しませんが内心はとても困っていたはずです。

普段は真面目な彼が外へ出て行くのだから、本当に限界だったのでしょう。

正しいとか間違っているとかの問題ではなく「無理なものは無理」なのです。

 

人生は苦行なのだろうか

私も昔から集団行動が苦手でした。中学生のときクラス対抗のムカデ競走がありました。

練習中に私の失敗でこけたことがあります。先生は私まで近寄ってきて「なんでこけるねん!」と叩いてきました。

理不尽な気持ちになったのを覚えています。

いい加減にやったわけでないのに、結果のみに文句を言われることは非常に傷つきます。

 

聴覚過敏の彼も同じ気持ちだったはずです。彼は教室にいる努力をしているのに、そこは認めてくれません。

「みんなと一緒に教室にいない」その結果のみを追求されます。先生に対して理不尽さを感じていたことでしょう。

仕事をしたら給料がもらえるように、教室にいることに何らかの対価があるなら話は別ですが、苦しいだけなら何も実りはないのです。

彼の学校生活は苦行のようになっていたでしょう。

 

私なら「教室にいるべきだ」とは思いません。

すでに彼には「教室にいよう」とする意志があります。

出て行くのは「無理だ」と思うからです。「無理だ」がなければ彼は教室にいるであろうことは容易に想像出来ます。

 

方針としてその「無理だ」を和らげる方法をとります。

ここからは年齢や家庭と相談しながら、防音のイヤーマフをつけるか、特定の音を除けるか音を小さくする努力をするでしょう。

 

何のために学校へ通うのか

学校の指導が行き過ぎたとき、子どもは不条理を感じます。

その先にあるのは大人に対する不信感や自信の喪失、感情がなくなるなどです。

 

「学校から帰ってきて子どもの様子がおかしい」

「なんだか最近元気がない」

「先生に言わないとこの子の毎日は良くならない」と感じるのならそれは正解です。

お母さんがそう感じるなら遠慮せずに学校に理由を聞いてみてください。

 

正しいではなく人生を良くするように生きてほしい、が私の方法であり、願いです。

 

「正しくなるより、自分の人生を良くしよう」大人がそう思えるとイライラが減ります。子どもは明るく前向きになります。

歯を食いしばって成長するのではなく、そんな前向きな方法でも人は充分に成長していきます。

 

私はこの方法でよりよい方向へ変わっていく保護者の方や子どもを見てきました。

もっと沢山見たいのです。そのための方法を今後も紹介していきます。