この記事を書いているのが年末ていうかクリスマスイブなのですが。

年末年始になると帰省や忘年会、同窓会など色んなつながりで集まるシーズンです。

 

つながりは有り難いものと同時にやっかいなもの。

 

『実家に帰りたくないなぁ』

『ママ友の集まりがあるけど気乗りしない』

 

などイマイチつながりたくない関係もあるはずです。

 

私は以前は特別支援学校で先生をやっていました。

沢山の保護者の方とお話させていただきましたが『子どもが生まれてから実家に帰りづらくなった』という人に一定数出会います。

 

特にあるのが『実家に帰るのが憂鬱』というもの。

これは年代差のようですが傾向として50代、60代以上の人は障害に関する理解が進んでおらず障害ある子が偏見的な目で見られてしまうようです。

これは障害のある人、本人からも聞かれます。

電動車椅子に乗る人から聞いた話ですが、一人で街中をぶらついて一番冷たい対応をしてくるのは年配の人、それも男性の割合が高いようです。

 

ヤンキーやロックンローラーみたいな格好をしている人でも、意外に親切なのだとか。

photo by Danilo Urbina

 

障害ある子の問題行動には法則性がある

学校の先生というのはご存知の通り家庭訪問があります。

特別支援学校でも同様です。毎年、4月~5月頃になると家庭訪問に伺うものです。

 

地域にある小中学校だと玄関先で話す程度ですが、支援学校ではそうはいきません。

中に入りじっくり話し合います。支援学校は少人数制なので時間がとれるものですから。

 

私が担任受け持つ子で学校では大人しいのに、家では暴れてしまう男の子がいました。

人を攻撃はしないのですが、食器を投げたり、テレビを壊そうとしたり家中にあるものを壊しにいきます。

 

どんな子でも学校では背伸びをして良い子にして、家では羽を伸ばすものです。

ただ物を破壊するまでは行き過ぎです。

 

「全部そうだ」とは言いませんが、こういった問題行動には解決の法則があります。

 

世の中に合わせ過ぎてはいけない」ということです。

 

「みんながやっているから」

「普通はこうだから」

「頑張れなければいけない」

 

などの基準に当てはめて考えないということです。

 

『何いってんの?』

と思われるかもしれませんが、障害ある子の環境は「普通はこうするから」「みんな一緒が素晴らしい」という価値観が教育ではなく押しつけのレベルまで来ているというのが支援学校で先生やっていての私の感覚です。

 

全てとは言いませんが、問題事例の多くにこの法則が当てはまるのです。

 

この男の子の場合は兄弟と比べられているようでした。

 

「他の兄弟は出来ているのに何であんただけ・・・」

「この年齢になって、こんなことも出来ないのか」

 

など本人ではなく、他者の基準を当てはめられていました。

 

ただ本人はふざけて生きているつもりは全くないのです。

一言で言うと『出来ないものは出来ない』のです。

 

このあたりが年代の差なのかもしれませんが、脳機能に障害ある子の場合は「やれば出来るんじゃないのか」[育て方の問題」と思われがちなのです。

 

その苦しみが物を壊したり、脱走したりなどの問題行動となるんです。

 

これって祖母の影響を受けているのでは

学校では大人しいのに家では物を壊してしまう男の子も同様でした。

学校か家庭のどちらかで「本人を世の中に合わせさせ過ぎている人」がいます。

 

今回の場合は祖母でした。

なぜそう思うかと言うと、お母さんは「この子も悪気はないと思うのですけど・・」と学校での懇談など家以外の場面では本人の気持ちに理解を示す言動なのです。

 

ただ家庭訪問のときは別の空気をまとっていました。態度や言葉の端々から「この子はダメだ」というような気持ちが見え隠れするのです。

おそらくそれは祖母の影響のようです。

 

というのも家庭訪問の際、祖母もこちらに挨拶してくれました。

そのときの発言が「あの子は本当にダメで・・ご迷惑をかけています」との言葉。

 

私はいくつも家庭訪問して色んな人に出会ってきましたが、これはちょっと言い過ぎです。

この祖母の挨拶とお母さんの家庭訪問中での空気がそっくりなのです。

 

もう何十年と一緒に暮らしているようですし、お母さんはお嫁さん。

知らず知らずのうちに祖母の価値観の影響を受けているのだと思います。

 

それでも家の影響がない学校などでは、本来のお母さんの価値観となるのでしょう。

 

このことにお母さん自身は気づいていないようです。

ただ気づいたところで子どもを引っ越すわけにもいかないでしょうから、そのままの方が良いのでしょうが。

 

逃げられるものからは逃げた方がいい

世の中に合わせるのではなく、本人寄りの基準で考える。

障害ある子の場合はこの考えの方がバランスがとれます。

 

一見居直りや開き直りにように思えますが、これくらいで丁度いいのです。

それくらい子どもたちの周りは「普通」「みんなと一緒が素晴らしい」という価値観が渦巻いているというのが私の実感です。

 

この考え方は色んな場面に当てはまります。

家で物を壊してしまう男の子も同様でした。

どうにも祖母に悪気はないのでしょうが「世間一般の基準」を男の子に求めているようでした。

 

この場合「祖母に考え方を変えてもらう」というのは難しいでしょう。

 

ではどうするべきか。

 

なるべく逃げることをおすすめします。

 

自分や子どもにとって良くない影響を与えそうなものからは極力逃げることです。

 

今回の場合で言えば、さすがに子どもを連れて引っ越すのは現実的には無理でしょうから、祖母の相手をしないことです。

祖母の価値観と向き合わない、付き合わないということです。

 

もちろん「祖母を無視しろ!」というのではないですよ。

 

意識すればいいんです。

何を意識するかというと「人は気づかずに周囲の価値観の影響を受けるものだ」と意識しておくことです。

 

アンテナを張っておく、でもかまいません。張っておけば気づくことが出来ます。

気づければ心の中で距離感を置けます。

 

逃げるが勝ち

一瞬、逃げるは恥・・と書きそうでしたがやめておきます。

でも真面目な話、そういうことなんですよ。

 

最も大切なのは自分の気持ちなんです。

 

自分はどうしたいのか、どうありたいのか。

そこに世間の目や価値基準を混ぜると問題は複雑化していきます。

 

例えば『家族は仲良くしなければいけないから』と思って無理に合わない者同士をくっつけようとすると問題は複雑化します。

 

『やっぱり家族は仲良くしないと』

『自分の努力がたりないんじゃないか』

 

そう思うかもしれません。

 

私が先生やっていて何度も感じたのは『わかり合えない家族』というのも現実にあるのではないか、ということ。

兄弟や肉親でも「相性の悪さ」というの存在します。そこに個人の努力は関係ないと思うのです。

 

そんな場合は距離を置いてみてください。

自分や子どもにとって悪影響を与えているものには、立ち向かわず距離を置く方が建設的です。

 

私は過去に大失敗を犯して逃げたことがあります。

 

当時は逃げた自分を責めましたし、不安もありました。

ただ逃げた先の方が実は世界は広がっていました。

 

逃げることを否定する必要はありません。自分にとって合わない人間関係は避けるべきです。

 

そこを変えようとエネルギーを注ぐよりも逃げて他のことにエネルギーを注ぐ方が建設的です。

逃げるが勝ち」なんですよ。