私は社会人になってから二ヶ月間の引き籠もり状態を経験しました。
1年目から周りと衝突し、退職したからです。
不登校の子は社会人よりも辛い状況にあります。
社会人なら「合わないならやめればいい」が普通ですが、学校は「通うのが当たり前だ」が常識になっているからです。
私は先生も経験したので、尚更内部が分かっています。
学校の先生といえども、全てを生徒のために捧げることは出来ないんです。
先生には先生の生活や都合もあって「学校に来るのが普通なんだ」という意見も先生の都合が多分に混じっています。
不登校になったこと、学校に行けなくなった自分を責めないでほしいのです。
本当にやってはいけないことや悪いことは学校に通わないことじゃないんですよ。
「悪いことをしている」「自分はダメなんだ」
そんなことを思う必要は全くなくて、不登校にも意味はあります。
不登校とは自分を探しなんです。
みんなと違う道を歩むがゆえに見える光景があって、不登校を否定しなければ見えるようになっていきます。
私は道から外れることによって、人の温かさや自分の得手不得手が分かりました。
当時は暗闇にいましたが、あの経験は今や私の光になっています。
不登校になって一番大切な基礎中の基礎は逃げた自分を否定しないことです。
辛いことから逃げたのに、それを否定しては逃げた意味がありません。
また逃げることに意味があります。
その意味を知れば、今より遙かに大きい成長が得られます。
大げさでなく、学校に通うより大事なことです。
私で言えば、退職しても親が「あ、そう。いいんじゃない」と気のないフリをしてくれたこと、友人と遊んで「自分に道はあるんだな」と思えたことは私の生きる道しるべになっています。
この記事を読んでいる皆さんにも正解はあるんです。
「ない」と思えば見えなくなります。
「ある」と思えば見えてきます。
あると思うにはまず「逃げた自分を否定しないこと」です。
私はしばらく過去をずっと見ていました。
「何がいけなかったんだろう」
「あのときどうすれば良かったんだろう」
と反省と後悔の念が渦を巻いていたんです。
止まったのは「逃げる自分を責めたら悩みが終わらない」と気づいたからです。
繰り返していますが逃げた自分を否定しない。
逃げたことに意味はある。その意味を知ればいい。
今を良くすれば、逃げた事実は明るい未来へと続き道だったことが分かります。
学校ってね、「勉強しなさい」「マジメじゃないとダメ」とか言いますが、それは先生の基準にしか過ぎないんです。
正解や基準は星の数ほどあって、無意味なことはないし、無価値な人間もいないんですよ。
学校にいる先生は無意味や無価値はあると思っているでしょう。
流される必要はありません。
前向きに考えていいんです。
先生や友達の言っていることより、あなたの気持ちが真実です。
嫌な気持ちや逃げた事実を否定せず、しばらくは自由に過ごしてみてください。
やがて、気持ちが変わり「こうしたい」という気持ちが湧いてきます。
戸惑うことなく、真っ直ぐにそれをやりましょう。
今までにない自分になれますよ。不登校とは自分探しです。
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