appleの創始者故スティーブ・ジョブズ氏は巨万の富を得ました。
ジョブズは死の間際に「自分は幸の薄い人生だった」と述懐しています。
続けて「感覚が大事だ」と言っています。
感覚をこのブログでは感性・センスと称しています。
自分の非を認めない人は感じることが出来なくなっています。
相手の気持ちを感じる心があれば、寄り添いが生まれます。
「感じるか、感じないか」の違いしかありません。
感じない人と話し合うと中身は平行線を辿ります。
議論の内容やテクニックではなく、感じるか、感じないかの差があるのみです。
最近では体操協会の会長が話題になっています。
少し前はボクシング協会でした。
絶対非を認めないのは自分がなくなっているからです。
本人に言わせれば「何を言う。自分はここにいる」と反論するでしょう。
その感覚こそが自分を見失っている証拠です。
「自分ロスト」と名付けていますが、自分とは肉体ではなく感性・センスです。
私は何度も自分ロストの人と議論を繰り返していました。
「それは相手のためにならないでしょ?」と私は言います。
相手は「そんなことない。これはあの人のためだ」と言い返してきます。
この違いは感性の有無の違いです。
私は相手の気持ちを前提に話しています。
自分ロストの人は気持ちを前提としていません。
目に映った行動や具体的な物事を前提に話しています。
「子どもを旅行に連れて行ってあげたから私は良い親だ」と主張する親がいました。
私から言えば「いや、あなたは良くないことしてますよ」と思いました。
その子は全く楽しくなかったのです。
具体的な行動ではなく、相手がどう思っているのか。
感性のある人であれば、相手が満足してない旅行は善行になりません。
「申し訳ないことをしちゃったな」と懺悔の念を持つでしょう。
自分の非を認めない人を相手にしたときは感性・センスの有無を読み取ってください。
あなたが感じたことを相手は無視しているはずです。
何も感じない相手に感性を前提に話をしても、気力の浪費となります。
同時に相手は例えようのない苦しみや悩みを抱えています。
実際に表情をみてください。
人生を謳歌しているようにみえないことがほとんどです。
常に不満や愚痴を言い続けているはずです。
感性・センスがなくなっているからです。どこで幸せを感じればいいか分からないのです。
話し合いが平行線を辿るのも、感謝の気持ちを持てないのも、愚痴と不満が多いのも感性喪失が根元にあります。
「優しくなれない」「夢が持てない」と言った悩みも感性の問題です。
感じられないから優しくなれません。
感じないから夢が分かりません。
我々人間が失ってはならないのは感性・センスの他ならず、100億以上の価値がそこにはあります。
人は今、退化しています。
頭は発達していますが心はないがしろです。
教育は賢い子を育てますが、感性・センスを奪っています。
100億円を払って1000万を手にしているようなものです。
「この人は何も感じてないんじゃないか」
そう疑問に思えるなら、感性を持っています。
生まれたばかりの子どもは感性をフルに持っています。
成長するにつれ減るが多く、ケアなしに維持し続けるのは一部の天才です。
大人の抑圧から減ることが多く、私自身も失ったことがあります。
「経験者は語る」ということで、安心していただければと思います。感性は回復も出来ます。
このブログは「感性・センス回復プログラム」と言っても過言ではありません。
非を認めない相手から「感性なくなるとこうなるのか」と反面教師にしてください。
相手は理屈のみの世界なので、何でもアリです。
あなたは心の痛みがあります。
痛みのせいで議論には負けますが幸せを感じる資格があります。
ジョブズの言葉を「へー、そんなこともあるのね」と思うのか、「核心をついている」と思うのか。
世の中には色んな選択肢が無数にあるのです。
感性・センスこそがお金には換えられないものの土台です。
失えば人生を失うのと同意義です。蘇れば自分の人生を歩めます。
人間とは感性・センスです。
肉体が自分ではなく、感じているのが自分です。