夏休み明けの不幸な事件など「学校に行きたくない」と悩み、不登校になる子がいます。

そんな子どもたちのために何が出来るのか。

 

まず言えるのは「無理に学校へ行くことは問題の解決にならない」という事実を大人が認識することです。

これは「ブラック企業でも慣れれば大丈夫」という論理が滅茶苦茶なのと同じです。

 

風邪を引いたら安静にするでしょう。

骨折したら自宅療養が当たり前です。

 

心が「辛い」と感じたら休むのが当たり前なんです。

 

この当たり前が見落とされる原因が学校の変わらない常識にあります。

学校が「辛かったら学校に来なくていいよ」という方針を打ち出さないので「学校来るのが普通だ」という常識に変化が起きない。

 

このままでは子どもたちが救われません。

子どもたちは小学校高学年くらいから周りを気にしだして、自分を出せなくなります。

「みんなと違う」ということは悪いことになり、他人のありのままを認めず、自分のありのままも出せません。

 

こんなこともう終わらせましょう。

 

我が子が不登校にならないように、友達が不登校にならないように。

 

子どもがずっと変わらず笑顔で居続けるには、大人は何をすべきか。

教育を再定義する時期に来ているのだ、と私は感じています。

 

不登校になる理由

子どもに必要なのは学力でしょうか。運動能力や社交性や空気を読む力でしょうか。

違います。

 

子どもにとって必要なのは生き甲斐です。

理由は単純です。生きているからです。

 

身体に食べ物と水が必要なように、人の心には生き甲斐が必要です。

 

「この世に生まれて良かった」「生きている甲斐があった」

そんな生き甲斐を日々に感じているかが、根本に必要なんです。

 

そんな当たり前の事実が「早期教育が効果的」「これをすれば学力が上がる」「協調性が大事」そんな常識に負けています。

早期教育も大事でしょう。学力が上がれば可能性も広がります。協調性も大事です。

 

でも日々に生き甲斐を感じることが人として当然ではないですか。

 

不登校とは生き甲斐が、つまり学校に行く甲斐がなくなるからおこります。

 

無理に行かせることが論外なのはもちろん、説得したり、努力も間違っています。

 

まずは日々に生き甲斐を取り戻すことです。

そうやって心の燃料補給をしたら、子どもは前に進めるようになります。

 

家庭ではどんな役割が良いのか

こう考えてください。

学校とは感情に蓋をされる施設です。

学校ではルールを教えられます。中には不合理なルールもあります。

そんなルールを守るには自分の感情に蓋をしないと守れません。

 

感情に蓋をすることは学びの一面もあります。

でも感情全てに蓋をされたら生き甲斐をなくします。

 

時に先生は遠慮なしに子どもの感情全てに蓋をする場合があります。

また友達関係でつまずくことでも感情は蓋をされます。

 

家ではその感情の蓋を開けるように心がけてください。

なるべく素直な感情が出せるように。

ルールは少なめにして自由な時間、選んで決めるなど本人の気持ち重視に生活をしてください。

 

これがお子さんから、世の中から不登校を減らす、なくすための方法です。

 

必要なのは我慢ではなく

私たちは「頑張ったら幸せになれるんじゃないか」とつい思ってしまいます。

 

辛いことに耐えていれば幸せが訪れる。

我慢していれば良いことが起こる。

 

こう考えてしまいます。

ただ実際は我慢を続けても、辛いことはずっと続きます。

 

こう考えてください。

 

辛いことを終わらせれば良いことが訪れる。

我慢をやめれば前向きになる。

 

こっちの方が自然で当たり前です。

 

「嫌なことはイヤと言える」

これも必要な能力です。

 

学校では感情に蓋をする。

家では感情を開く。

 

この繰り返しで子どもの心は安定します。世の中から不登校に悩む子がなくなるように。

子どもたちを変えるのではなく、私たち大人の意識を変えましょう。

子どもたちの生きづらさが解消されていきます。