以前勤めていた学校の卒業式に行ってきました。

私は昔から卒業式が大好きです。

 

この日だけは先生みな大らかになります。

『良い一日にしよう』『楽しんで帰ってもらおう』とする気持ちで溢れています。

 

皆さんの小学校から高校までの卒業式を思い出してください。

鬼のような先生も卒業式だけは優しいおおらかな空気になるはず。

 

本当は「毎日卒業式」の気分でやればいいんですよ。

どんな気分かというと『良い一日にしよう』『楽しんで帰ってもらおう』という気持ちです。

 

ただ普段は反対じゃないですか。

普段は「こうしなさい」「これが正しい」とあるべき姿を求めています。

 

だから「やりたくない」という生徒と「やりなさい」という先生のバトルが始まるわけです。

 

「じゃあそんな方法しなきゃいいじゃない」

となりますが、そうはいかないものなのです。

 

とはいえ先生批判したいわけでなく

念のため。今日は卒業式でセンチな気分になってますし、良いきっかけとして。

 

私はこのサイト上で先生を批判するようなこと書いていますが、そんなつもりはないんですよ。

むしろお世話になった先生は沢山いて、今でも勤めていた学校には顔を出しています。

先生不信煽ったところで意味ないですしね。

 

「じゃあどんなつもりで書いてるの?」となりますが、このサイトは学校の足りてない部分を補うものです。

いわば”学校補助教材”ですね。完全非公認ですが。

 

今の学校に足りていないのは「主体性や判断力を育てること」です。

 

自分の気持ちが言えなかったり、嫌と言えなかったり、判断を人にゆだねたり。

 

子どもらに『なにがしたいの?』と質問すると『分からない』と答えます。

そのうえで『じゃあこれやろう』というと『嫌だ』と言います。

 

この辺りは自分の気持ちが分からないゆえでしょう。

 

これは「障害ゆえ」ではないと私は考えています。「環境ゆえ」です。

 

仕組み的に学校は主体性や判断力は育みにくいのです。

ゆえにこのサイトは”主体性を育む補助教材”なんです。

 

その流れの中で「学校の先生はこうだ」という仕組みの話をしています。

要は「先生に恨みがある」とかじゃないんですよ。

 

あと「主体性や判断力が育っていくとどうなるの?」

と言いますと

 

『生きるって最高だぜー!イェーイ!』

photo by Masahito Oku

そんな瞬間に出会えます。※こんな顔にはなりません↑

 

受け身であることが全て悪いわけではないのですが、日々が楽しくないなら行動すべきです。

そんな『人生が楽しいぜ!』を目指して日々更新しているサイトなのです。※宣伝みたいだな

 

なぜ”毎日卒業式”ではないのか

「毎日卒業式のような気持ちでやればいい」

 

私は本気でそう思っています。私は以前先生やっていましたが「毎日卒業式」を意識してました。

「やりなさい」とか「こうあるべき」とは言わないのです。

 

ただ私がそのスタイルに限界を感じたように、学校の先生は「毎日卒業式」は難しいのです。

それは同調圧力があるから。

 

みんながAという方法をやっているのに一人だけBという方法をやるのはかなり疲れるんですよ。

 

よってみんな同じような方法になります。

ゆえに学校は変わらないですし、同じ問題が繰り返されるのです。

 

背伸びは伸びない

背伸びは伸びません。

伸びるんですが実は伸びてません。正に背伸びなんです。

 

・・・分かりにくいか。

画像をご覧ください。

photo by bronx.

 

めちゃくちゃ伸びてますね。

でもやがてこの足は元に戻ります。伸ばし続けたら足がどうにかなってしまいます。

 

これが教育にも当てはまるんです。

背伸びは伸びているように見えて伸びてないんです。

 

一般的に先生はどう考えているか。

全員ではないですが「背伸びを続けていたらいつかそれが普通になる」そう考えている先生がいます。

 

申し訳ないですが私は「そんなわけあるか、〇〇野郎」と思うのです。

 

一つ例を挙げれば卒業式などの行事です。

 

卒業式を立派で厳かにするのには意味があります。

人生の節目ですし「こういう状況では大人しくしようね」とマナーを学ぶ機会です。

 

でもそれを続けたところで中身まで立派で厳かな人間になるわけではないですよね。

 

形を続けたら形は覚えます。ただ中身は変わらない。

 

ということです。

 

褒めても効果がない

背伸びなんか誰もしたくないのです。

辛いし疲れるし、その姿を褒められてもうれしくない。

 

でも背伸びすると周りは褒めるんですよ。

「あなたは立派です!」と。

 

その言葉を受け止めて背伸びし続けると自分を見失います。

 

それが主体性や判断力を失くします。

 

障害ある子の教育環境は先生が非常に多い環境。

先生は「出来ること」を非常に重視します。

 

出来ることを重視すると褒めることになります。

そして背伸びでも褒めるのです。「立派です!」と。

 

もう少し具体的な方がいいですね。

 

小学校でいじめに遭い自信を失った男の子がいました。

彼は特別支援学校入学後一年間は暗い表情のまま過ごします。

 

『生まれたくなかった』そんな言葉をもらします。

 

彼は片手に麻痺があります。普段は麻痺ある手を使いません。

 

先生は訓練で麻痺ある片手を使うように促します。

彼は授業中の指示には従いますが日常では使いません。

 

その間先生は褒めています。訓練中に麻痺ある片手を使う彼を褒めます。

でも定着はしないんです。

 

これが「背伸び状態を褒める」です。

 

生きる気力を

彼が麻痺のある手を使わない理由を詳細に言えば「麻痺の片手にコンプレックスがあるから」です。

 

そして大きく言えば「生きる気力がないから」です。

 

一言で言えば彼は生きたくないんです。

だから麻痺ある手を使う理由がない。

 

ただ特別支援学校2年目になって彼は変わります。

色々配慮があって日々が楽しくなっていきます。自分の出来ることや得意な部分を知るようになりました。

 

やがてお母さんに『学校が楽しい』と言い出します。

 

彼の麻痺ある片手はどうなったか。

 

先生から言われなくても自発的に使うようになりました。

「コンプレックスを意識しなくなった」と言えますが、大きく言えば「生きたい」と思うようになったからです。

 

 本来の自分に戻りたいもの

多くの先生は「背伸びを続ければその状態が普通になる」と考えています。

もし行き詰ったなら背伸びの限界です。元に戻りましょう。

 

人はどこまでいっても自分なんですよ。

本来の自分でありたいんです。

 

つまり「成長したい!」からするんです。

本来の自分を伸ばしたいと思えるから頑張るんです。

 

背伸びは意味がない

人は本来の自分でありたいもの

「成長したい!」と思えるときに成長する

 

その視点でもって子どもをみてください。

 

具体的に言えば「しなさい」や「こうあってほしい」という子どもに背伸びさせる原因を家庭でつくらないことです。

 

よければ自問してみてください。

「こうしなさい」「こうあってほしい」という言動をしたことないですか?

 

お子さんが元気で前向きならそれもOKですが、落ち込み気味なら控えることをおススメいたします。

落ち込んでいたらまずは生きる気力です。楽しいことから初めて見てましょう。