笑っても誰も幸せにならないしくみ

先日、ボッチャバーというイベントを行いました。

これがまぁ大赤字。興行的には失敗です。

 

「赤字だったんですよー」と先日、私はとある知人に話しました。

「いくら赤字だったの?」と質問されたので私は正直な額を言いました。

知人の顔はにやけていました。「嬉しそうだった」と言っていいでしょう。

 

「えー?そこ笑う!?」と驚くと同時に。

「んーもう会いたくないなぁ」と思いました。

 

さて。私は小学校時代から人の失敗を笑う人をみてきました。

私だってどこかで笑ったことあるかもしれませんが。

 

今回の一件から「やはり笑うべきでないな」と戒めました。

挑戦しようとする人は主観的だと思います。

他人の目を気にしてたら、それは客観的です。

 

子どもは挑戦したがりですが、主観的だからでしょう。

大人が安全・保身に走るのは客観的に考えるからだと思います。

 

失敗を笑ってはイカンのです。

相手の失敗を笑ったら、自分が失敗したとき惨めです。

 

私は中高生のころ「おっさん」をバカにしてましたが、いざ自分がその年齢になって凹みます。

バカにした分と同じかそれ以上に、自分がおっさんになったら凹むのです。

 

人の失敗を笑うか、笑わないかは挑戦出来る化か、出来ないかのリトマス試験紙になるでしょう

「人の不幸は蜜の味」といいます。

甘くても捨てる意識だと思います。

 

学生時代から人の失敗をネタ話に盛り上がる集団をみかけます。

ああいう集団に入ったことないですが、入れば居心地悪いのではないでしょうか。

 

私は失敗を笑ったその知人とは縁を切るかなと思います。

挑戦する人生を歩みたいので、それしかないと思うのです。

 

自らに誓うと良いでしょう。

「人の失敗を笑わない人間になろう」

そう自分へ誓えば、挑戦出来る人になれます。

 

もしこの記事を読んでいるあなたが、失敗を笑わない人なら。

変われる最低条件を満たしている人だと思います。

 

大分昔の歌ですが「ロシアン・ルーレット」という布袋寅泰さんの曲がありました。

「笑う奴らには笑わせておけばいい 誰にも真似できない笑顔をみせてやれ」という歌詞があります。

得たいものがあるなら、捨てるべきものがあります。

誰にも笑われずに成功なんてあるものかと思います。

 

「人の失敗を笑ってはいけない」

 

道徳的な意味で言うんじゃありません。

誰のためにもならないから言っております。