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教育だけが子育てじゃない

私は子育てとは教育だけが方法論じゃないと思っています。

「いい加減な子育てでいい」「テキトー母さん」「ふざけた子育て」など書いてある育児本みたことないですか。

読めば、このブログ上の内容と被ること多いと思います。

 

私から言わせれば「テキトー」でも「いい加減」でもありません。

啓発なんです。

 

「教えたらその通りに育った」

そんなはずはないでしょう。

少なくとも私は親の期待通りには育ってないです。

 

私は学校の先生でした。

本人の自主性を尊重し、何をやっても、何を言っても「そうなんだ」というリアクションをしていました。

激昂して「こうしなさい!」はナンセンスだと思っていました。

 

口では「いやー自分いい加減なんですよ」と言っていました。

でも本心は違います。

職員室での居場所を確保するためです。啓発からでも人は育つと思っています。

 

そもそも公教育は個人の幸せに言及していません。

 

江戸時代に徳川幕府は朱子学を奨励しました。

朱子学は上下関係を重んじます。

「世の中には天地があり、天は尊く、地は卑しい」

「人間にも天地があり、天は尊く、地は卑しい」

この考えは身分制度を重んじる徳川幕府にとって都合が良い内容だったのです。

徳川幕府は人民の幸せに言及した結果、朱子学を奨励したでしょうか。

 

同じ歴史は現代でも繰り返されていると思います。

私たちは当然のように教育を受けていますが、そもそも公教育は個人の幸せを言及していません。

 

啓発とは「(一般論はこうだけど)あなたの本心はなんなの?」という問いかけです。

根っこには「あなたはどう生きたいの?」という個人の幸福への問いがあります。

 

教育の視点に立てば「本人任せ」「親が何も言わない」「信じ切る姿」は「いい加減」「テキトー」「ふざけた子育て」になります。

 

啓発から言えばこれはとんでもない話になります。

任せるのも、見守るのも根底には「あなたはどう生きたいの?」という問いかけの姿勢があるのです。

 

啓発を続けると、ドラマチックな人生になります。

恋愛や仕事や友達、趣味など全ての時間に生きる実感が湧きます。

 

教育がいきすぎるとその逆です。

他人から認められますが、平坦な人生になるでしょう。

 

そもそも生きるとは何なのでしょうか。

「俺は平坦な人生だぜ!やったー!」と喜べる人はいるのか。

安心と喜びが一緒になっていないか。

 

自分の人生に喜べないなら啓発です。

常識や一般論を知った上での問いかけが必要です。

 

教育が全て悪いとは思いません。

啓発が全てに優れているとも思いません。

 

バランスの問題なのですが、現在において啓発は全く重要視されていない。

異端扱いされているのが問題です。

 

あなたはどう生きたいでしょうか。

お子さんにはどう生きてもらいたいでしょうか。

 

本人任せや放置やテキトーは啓発の姿勢です。

ネグレクトとの違いは個人の幸せを願っているかどうかです。

 

「私は啓発をしているんだ」

そう思い、子どもの成長を見守る大人が増えることを願ってやみません。