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私たちはなぜ働くのか。

先日喫茶店でパソコン打っていたら。

「世の中お金ッスよ!」

先日、そんな男性の声が遠くのテーブルから聞こえてきました。

 

「えー?ハートじゃないんですか?」

同席しているのであろう女性の声が聞こえてきました。

 

「世の中はお金やシステムで回っている」

そう見える一面はあります。

 

私も欲しいものがあって、行ってみたい場所があります。

お金はないよりあった方がいいです。

 

ただお金はツールにしか過ぎません。

「ツールと思ってないとマズイ」とも言えます。

 

私たちはなぜ働くのか。

子どもたちにどう教えているのか。

今回の記事で再考してみてください。

 

 何故働くの?

「僕は20歳だから働かなくてはならない」

「お金がもらえるから働く」

本当にそう発言する卒業生に会うことがあります。

 

「マジか」と私はうなってしまうのですが、彼らは本気のようです。

ただ表情が暗い。そして危ういでしょう。

 

「お金」「労働の義務」で働くのは客観的な理由です。

働く理由が客観的な理由だけだと、表情は暗くなります。

 

客観的になるのは「教育されたから」です。

主観的な自分だけの理由が必要です。

 

ちょっと脱線しますが、不登校も同じです。

学校へ通うのが客観的な理由だけになってしまったら、何の満足感もありません。

義務やみんな通っている、お金、学歴だけでは通えないのが普通です。

ロボットじゃないんです。

 

小学校高学年くらいなると、書き初めや夢に「お金持ちになりたい」と書く子が必ず出てきます。

その子が切手集めのような趣味感覚で「お金を集めたい」と言っているなら話は別ですが。

 

大抵「こう言えば無難だ」「だってそういうことでしょ?」という客観視からくる「お金持ちになりたい」という目標のはず。

 

その意味でずっと「プロ野球選手になりたい」と目標に書き続けたイチロー選手などはスゴいですね。

なんて偉そうに言っていますが、私が小学校の頃には「サラリーマンになりたい」とどこかの学年で書いていました。

 

私は先生していたわけですが、子どもたちは学校でどんどん客観化していきます。

「義務教育だから学校行かないとアカン」

「労働の義務があるから自分は働きます」

そんなことを言う子は、やはりいます。

 

私の元にいると大体の生徒たちはテンションが上がり「学校楽しい!」となっていきます。

自分で言ってしまいますが、それは私が教育をしてなかったからです。

 

私がやっていたのは自己啓発です。

「君の夢はなんだ?」と言葉や態度でずっと表していたつもりです。

 

「この子は何が好きなのか?」

「将来どうなりたいのか?」

そう常日頃に思いながら接してます。

 

生徒たちはその問いを受けて「こうしたい!」と訴えてきます。

「じゃあ、やろう」ということで私は権限利用して、やらせていたわけです。

そりゃ元気も出ますね。

 

協調性の全くない先生時代で、そこは同僚の先生に申し訳なかったです。

ただ生徒のためにはなっていたと自負しています。

 

自己啓発とは主観を深めます。

「周りがどうこうじゃなく、自分はこうしたい」という意欲です。

 

学校で言えば「義務だからでなく、友達がいるから行く」「やってみたいことがあるから学校へいく」そうなっていきます。

 

仕事で言えば「お金もらえるから、でなく喜びがあるからやる」「自分と家族のために働いているんだ」そういう感覚になっていきます。

 

結果は同じ働くですが、教育では動機が客観的、自己啓発では主観的になります。

 

最近、良い感じの元生徒がいます。

彼は支援学校卒業生で将来の道を悩んでいました。

 

私と彼は半年ほど会いませんでした。

それが今年の2月ごろに会ったのですが「しまったかな」と思えるほど表情が暗い。

 

話せば「僕はこうしなければならない」という論調。

「こうすればこうなる」という理屈。

非常に客観化している彼がいました。

 

「やりたいことはなに?」と私は質問しました。

「車椅子陸上したい」と彼は言いました。

 

「じゃあやろう」ということで、その場で「陸上チームないですか?」と県のスポーツ協会に問い合わせました。

「ありますよ」とのお返事。

 

そこから彼とは頻繁に会うようにしましたが、彼には目標が出来たようです。

彼は人としての高みを目指したいのでしょう。

「自分をどんどんアップデートさせたい」と言うようになりました。

 

これが主観です。

これから彼は「自分をアップデートするため」に働くでしょう。

そうなれる職場を彼は選ぶと思います。

 

これは私の意見ですが、今の子どもたち、私たちもですね、教育され過ぎていると思います。

「何言ってんだ、コイツ?」と思われるかもしれませんが、私にはそう見えるんです。

 

完璧に客観化したら、それはもうロボットのようなものです。

ロボットになくて、私たち人間にあるのは気持ちです。

 

子どもの気持ちは大人からすればめんどくさいものですが、本人にとっては自分そのものです。

”教育者”は気持ちをないがしろにしやすく、啓発者は気持ち第一です。

 

教育と自己啓発のバランスを意識してみてください。

好き、やってみたいなど好奇心や愉快さは堕落ではありません。

自分を知る自己啓発であり、将来に繋がる時間です。