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君の夢はなんだ?

「君のやりたいようにやれ」

そんなことを言う先生は教育者ではありません。自己啓発者です。

 

教育とは、客観的になることです。

従わない生徒に「今、みんなは何してる?」と先生は言います。

裏には「みんなと同じようにしよう」「同じじゃないと認めないよ」という姿勢があります。

家にいては分からない客観性を教えてくれるのが先生であり学校です。

 

自己啓発とは主観を強めていく作業です。

自分は何を思い、どうしたいのか。自分の個性とは何なのか。

「君の夢はなんだ?」

この裏側には個性、感性、想い、主観、そんな問いかけがあります。

 

指導者が正解を言うのが教育であり、問いかけるのが自己啓発です。

「君の夢はなんだ?」と問う先生が漫画だけなのは当然です。

その先生は教育者ではなく自己啓発者なのです。

 

教育の中に自己発見がある、夢を育むのが学校。

バッサリ斬れば、そんなのはあり得ないのです。

教育をすれば個性はなくなります。学校教育しかり、社員教育しかりです。

 

教育と対立しての自己啓発があります。

 

気をつけていただきたいのが、教育は行き過ぎることが多い、ということです。

思うこと、感じることをなくしたら、それは客観化しすぎです。

 

学校へ行くことに客観的な理由しかなくなると不登校になります。

「みんなが行っているから」「学生だから」は客観的な投稿理由です。

大事なのは「このために自分は学校へ通うんだ」という主観的な理由です。

これは教育的ではなく自己啓発的なのです。

 

「子どもには夢をもってほしい」

「個性を伸ばしたい。好きを大事にしたい」

そう願われる親御さん、ご本人は自己啓発を意識してください。

個性、夢、好きなどは自己啓発です。

「私は今、自己啓発をこの子にしているんだ」と考えたら良いと思います。

 

・受け身的、反抗的である。

・人の目を気にする

・「自分は学生だから勉強しなければならない」そんな理屈重視。

・地位や学歴や年収などで人や自分を判断する。

 

そんな姿が多ければ教育の行き過ぎです。

そんなときは「あなたはどう思うの?」という自己への問いかけです。

「そんなの分からない」

「正解を教えて?」

そうなっていたら教育を受けすぎた結果です。

 

「僕のやりたいことは?」

「私はなぜ学校へ通うの?」

答えは自分の中にあります。

 

教育と自己啓発を別物と捉えてください。

学校とは客観性を高める場所です。失われるのは自分です。

 

「誰が何と言おうと自分はこう思う」

そんなものがあなたにも、誰にもあるはずです。

子ども時代にはみんな思うこと感じることがありました。

 

「自分に個性や感性はない」

そうではなく、教育を受けて忘れただけです。

 

誰にも個性はあります。感じる気持ちは蘇ります。

夢はその先にあります。